立川流の「二つ目、真打ちへの昇進基準」はなぜ厳しかったか
大事なことはすべて 立川談志に教わった第4回
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もし落語界に前座をはじめとする身分制度がなかったら、いったいどうなってしまうのでしょう? そんなことをたまに考えます。
正確に言うと、前座の頃はずっと「前座というランクはなんであるのだろう」とばかり考えていました。
上方落語界では、東京落語界の前座に相当する期間を「年季」といいます。前座修業を終えれば、晴れて「年季明け」という身分になり、東京でいう「二つ目」という地位に認定されますが、そこから先は「真打ち」というランクは存在しません。
これはあくまで私個人の推測ですが、関西が「売れへんかったら真打ちも何もないやろ」の「リアリスト」の了見で、対する東京落語界は「真打ち昇進」という「夢」に向けて芸に精進する「ロマンチスト」の了見という違いではないかとの仮説を立てています。むろん、極論ゆえに異論はあるでしょうが。
ここで「二つ目、真打ちへの昇進基準」について述べたいと思います。
他団体では真打ち、二つ目への昇進基準が「ほぼ年数」というざっくりとしたものに対し、師匠談志存命中の立川流では非常に確固たる昇進基準を設けていました。
「二つ目」の昇進基準は「古典落語五十席に歌舞音曲」、「真打ち」は「古典落語百席に、二つ目より精度の高い歌舞音曲」とハッキリしています(実はこの昇進基準が、見様によっては師匠のその日の気分によって変化してしまうように見えてしまうのが、より複雑にさせることになってしまうのです。これについては後述します)。
師匠談志は、なぜここまで詳細で厳密な昇進基準を設定したのでしょうか。